【夫の話】妻の自由な生き方から考える、今の子供達に伝えたいこと
最近こんなツイートをしました。
今日、夫が保護者会で私の話をしたらしい…
夫「妻は時間や場所にしばられないで好きな旅行を楽しんでます!って言ってきたよ」
事実だけど、それ怪しくないか大丈夫か?!笑
— まつあ@とこたび/しばらく日本です (@matua18365403) December 21, 2019
うちの夫は教員をしているのですが、どうも私の話を学校で、しかも保護者会というクラスの親御さんが集まる場でがっつりしたそうなのです。
どんな話をするのだろうとドキドキしていたのですが、保護者会が終わり帰ってきてから夫に話してもらった内容が思っていた以上によくてぐっときてしまいました。
私のことを話したことよりも、今を生きる子供達を見守る視点の1つとしてぜひ広くシェアしたいなと思い、学年末の忙しい中無理言って文字起こししてもらいました。
(夫は今必死で所見書いてますほんとにありがとう)
- 今子育て中のお父さんお母さん
- 教育や子どもに関わる仕事をされている方
- 生き方に悩んでいる学生さん、大人
何かの解決策が明確に示されているわけではないのですが、もし今悩んでいることを解決するきっかけになったらうれしいです。
45分くらいの話をほぼ全部書いてくれたので、6,000文字とだいぶ長いです。
お時間あるときにゆっくり読んでみてくださいね。
僕の妻の話をします。
いきなりなんですが、今日は僕の妻の話をしたいと思います。
うちは夫婦2人の家庭で、子どもはいません。
妻とは前任校で出会いました。
妻は子どもの頃から先生になることが夢でした。卒業生も出したこともあり、結婚を機に退職しました。
僕もそのあと退職し、夫婦で船で3ヵ月半の世界一周の旅に出ました。
帰国後、僕は非常勤講師を経て今はこの学校に勤務しています。
妻は、教育系企業に勤めることになりました。
が、1年足らずで「もうどこにも勤めない」と決め、今ははっきりした職業はありませんが、パソコン1つで時間や場所に縛られない働き方をしています。
学校に通えない子向けに勉強法やサービスを自分のコンテンツで紹介したり、教育以外のサイト運営をしたり、いろいろです。
収入形態でいうと、ユーチューバーみたいな感じです。
もちろん、すぐに稼げるような甘いものではありません。
はじめてから5ヵ月の間、収入は0円でした。
毎日何時間もパソコンに向かい、自分で勉強し、試行錯誤を重ねた結果がそれです。
そして6ヵ月目にはじめて収入が発生します。月500円です。
今は、はじめてから1年と少し経ちました。
ここ2、3ヵ月の収入は・・・僕の収入を超えました。
固定給ではありませんから、たまたまかもしれませんし、このあと下がるかもしれません。
でも、毎日朝早く出勤して決まった時間働いている僕より、昼頃に起きて自分の好きな場所、時間に活動している妻のほうが、高収入になっています。
今も「次は何をしよう」とチャレンジしながら、毎日目を輝かせて楽しそうに過ごしています。
なぜ今妻の話をしたか。
それは、自分の中で「“今”を生きる女性の理想像」が妻だからです。
自分で決めたことだけをやり、何かを我慢することなく、毎日を前向きに生きている。
僕が生徒と向き合うとき、いつも頭の片隅にあるのは
「どうしたら妻のように、自分の人生を楽しめる大人になれるか」
「そのために今何をすればいいのか」
ということです。
生徒には言いませんよ。
「将来、僕の奥さんみたいになって欲しい」なんて言ったら、「なんだこいつ」ってなりますから(笑)
妻ははじめから前向きな人間でしたが、もちろん、そうじゃない時期もありました。
旅に出る前は、妻の頭の中をこのような気持ちが占めていました。
(補足:保護者会用のスライドです)
一緒に生活しているわけですから、言葉にしなくとも「焦っているな」というのは自分も感じました。
内容が生々しくてすいません(笑)
でも妻の了解は得ているし、今日こういう話をすると言ったら、当時の気持ちをいろいろ話してくれました。
結婚した時の妻は28歳でした。
そこまで遅くはないですが、妻の友人たちはすでに結婚している人が多く、ワンテンポ遅い感じでした。
そして
「子どもが産まれたよ!」
「家を建てたよ!」
「2人目が産まれたよ!」
という幸せな報告が次々ときます。
おめでとうと返しながら、複雑な想いもあったでしょう。
友人の集まりに行っても、話題は子育てが中心。ついていけません。
今子どもはいないし、予定もない。
それを受け入れると、今度は
「子どもがいないんだから、ちゃんと仕事をしないと」
「家事をしっかりできるようにならないと」
という考えが頭の中を占めるようになりました。
ここに「自分の意志」はありません。
誰かに「こうしろ」と言われたわけでもありません。
頭の中にある「あるべき姿」と現実の自分を比較していたのでしょう。
でも、いつも間にかこのような考えは消えていました。
今考えれば、世界一周の旅がきっかけだったように思います。
自分もそうですが、旅の目的の1つは、ベタな言い方をすれば「自分探し」でした。
以前の職場は激務で、過労で倒れたこともあります。
自分の将来なんて考える余裕はありませんでした。
「世界一周」みたいな刺激的で大きなことをすれば、これから先何をすればいいかが見えてくると思っていました。
旅は、ものすごく楽しいものでした。
しかし、帰ってきたときの感想は、
「あれ?何も変わってない。」
心境の変化は、特別なかったのです。
でも今考えれば、表面的にはそうだったかもしれないけど、無意識レベルではかなりの変化があったのだと思います。
そしてその変化は、男性である僕より、女性である妻のほうが大きかった。
妻はこんな言い方をしていました。
「2人で仕事をやめ、海外へ旅に出たとき、みんなと一緒に走っていたレールから自分は落ちた。そうしたら、比べる必要がなくなった。」
旅行後、妻の頭の中はこのようになります。
教育系企業に勤めていたときです。
仕事そのものに不満はありませんでした。
給与も悪くなく、やたら忙しいわけでもなく、まわりの人も優しかった。
むしろ、恵まれていました。
それでも、「自分がやりたいことはこうではない」というのがはっきりしてきたようです。
(補足:妻が当時に書いていたメモです)
満員電車、決められた勤務時間、気の合わない人とのやりとり…。
嫌なものを1つ1つあげ、そして明確になったやりたいことは、
「時間や場所に縛られず、旅をしながら生活したい。」
何の仕事をするかではなく、どう生きたいか。
それを実現するためにどうすればいいかを試行錯誤した結果が、今の生活です。
世界一周は妻の夢で、もともと退職後に行こうと話していました。
でもやりたいことは先にやったほうがいいと思い立ち、実行しました。
若いうちに行っておいてよかったと思います。
でも、妻はこう言います。
「もっと早くに行っていたら、くだらないことばかり気にしていたことにもっと早く気付けたかもしれない。」
今、生徒たちのためには何が必要なのか。
答えがあるわけではありませんが、自分の考えをお伝えしたいと思います。
多様な考え方や生き方を受け入れる“器”を育てること
1つ目は、「多様な考え方や生き方を受け入れる“器”を育てること」
そのためには、異なる人や文化にできるだけにたくさん触れることが大切だと考えます。
てっとり早い方法は、やはり海外に行くことかなと思います。
世界を旅したとき、グアテマラという国に行きました。
そこで現地の学校を訪問するツアーに参加しました。
自分は教員経験があるので、簡単な理科の実験をそこで披露したり、船で和太鼓をやっていたので、現地の子に教えたりしました。
現地の子たちは大歓迎ムードで、とにかく嬉しそうでした。
スペイン語なので何を言ってるかさっぱりでしたが、しきりに話しかけられ、対応に困るほどでした。
帰りのバスの中で、ツアーのリーダーがしてくれた話が印象に残っています。
「あの子たちが、なぜあんなに嬉しそうだったのか。あの子たちはたぶん、一生あの国を出ることはありません。海外の人に自分から会いに行くことはできないんです。」
訪問した学校は、屋根はありましたがトタン製で雨が降れば声がまったく聞こえず、トイレに行っても水が流れず手も洗えませんでした。そういう環境でした。
「でも、我々は行くことができる。だったら行くべきなんじゃないか。」
よく「人と比べる必要はない」と言います。
でも、生徒たちが置かれている環境を考えれば、それは非常に難しいことです。
同じ年齢・能力の子を集め、同じことをやり、平均点やら順位やら勝ち負けを決めていく。
そんななかで「比べる必要ないんだよ」と言ったって、無理がありますよね。
「人と比べなくていい」というのは、比べなくて済む環境に行って、はじめてわかることです。
船に乗っていたとき、和太鼓をやったり、マイケルジャクソンのダンスを練習してイベントのステージで披露したり、妻と社交ダンスをやったり、本来の自分がやらないことにたくさんチャレンジしました。
今やれと言われてもできません。恥ずかしいです(笑)
なぜあのとき恥ずかしくなかったのか。
年齢もやっていることもみんなバラバラで、うまいとか下手とか、気にする必要がなかったからだと思います。
必ずしも海外に行く必要はありません。
大事なのは、世界を「学校と部活だけにしない」ことです。
子どもたちにとっては「部活をやめて違う部活に行く」ってものすごく敷居の高いことです。
そういう雰囲気ですから。
でもそういう世界だけではないということを、ぜひ知ってほしいです。
大人の意識改革
2つ目に大切だと思うことは、「大人の意識改革」。
我が家では最近、テレビのニュースを見なくなりました。
理由は、内容がネガティブだからです。
「観測史上最悪の…」
「〇〇は先進国の中で最下位で…」
「課題点は…問題点は…反省点は…」
何においても、そんな報じ方ばかり。
教育においても、最近でいうと「読解力が大きく下がっている」という報道がありました。
「ネガティブ本能」という言葉がありますが、人間は「良いことや良くなっていること」より「悪いこと、悪くなっていること」のほうが言いやすく、受け入れやすい傾向にあります。
良くなっていることはたくさんあるのにニュースになりません。
悪い点自体は事実なのでしょう。
だけど、良い点とセットで見なければ、正しい評価はできません。
学校にいても、
「最近の子は人の話が全然聞けない」
「じっくり考えられない」
などといった話題がよく挙がります。
自分もそれはその通りだと思います。
今の生徒たちを見ていても、指示や連絡が1回で伝わらないことが多いですし、同じようなテストをすると年々点数が下がっていると感じます。
では、我々が子どもの頃に比べて、今の子たちの能力は低いのか。
接していて、そうは思いません。
おそらく「能力の総量」みたいなものはたいして変わっていません。
下がっている部分もありますが、逆もあります。
何がというのははっきり言えませんが、少なくとも「処理能力」みたいなものは上がっている気がします。
中1の授業をしていると、面白いことに気付きます。
2年前(生徒たちが中1のとき)と同じ流れで実験をするのですが、どういうわけか、毎回5分くらい早く終わるんです。
はじめは「何か言い忘れてるのかな?」「自分の手際がよくなっているのかな?」と思っていましたが、そうではなく子どもたちの動きが早い。
じゃあ実際の授業はどんな感じか。
自分は説明を短くしたいので、実験の方法はすべてプリントに書き、それを読めば手順がわかるようにしています。
でも実験がはじまるとすぐ呼ばれます。
「次はどうするんですか?」
「これで合ってますか?」
「いやいや、プリントに書いてあるから」と見に行くと、なんと、机の上に誰もプリントを出していない(笑)
みんな机の下にしまっています。
おそらく小学校の授業で、火を使う実験のときは道具をしまうという指導をされているからだと思いますが、それにしても4人グループで1人も見ないとは驚きです。
「プリントを見ながらやるんだよ」と言うと、「ああ…」といって面倒くさそうにプリントを出します。みんなそんな感じです。すぐ人に聞きます。
これを大人は
「人の話が聞けない」
「自分の頭で考えない」
と目くじらを立てがちです。
だけど見方を変えれば「目的を達成するための最短距離」を選んでいるようにも見えます。
事実、実験は早く終わり実験プリントもしっかり仕上げています。
子どもたちは本能的に、自分でプリントを読んで考えるよりわかる人に聞いたほうが早いと認識しているのでしょう。
僕のことを、声で反応するスマホみたいに思っているのかもしれません(笑)
子どもたちこそが「今」という時代に合わせて一番カスタマイズされた存在なのではないでしょうか。
話が聞けなくなった、じっくり考えなくなったというのは、日常生活の中で「人の話を長時間聞く力」や「時間をかけて考える力」の必要性が薄れたということではないでしょうか。
いつかやってみたいと思っていますが、もし今やっているような紙と鉛筆だけでやる知識を問うようなテストではなく、もっと難しいテストをスマホでも何でも使ってOK!という条件でやったら、今の子たちはものすごい力を発揮するのではないでしょうか。
そしてこれから必要な力は、そういう力なのではないでしょうか。
調べればわかるようなことを反復練習して覚え、何もないところで披露する力なんて、社会に出たらほとんど役に立ちません。
でも、そういう「新しい力」を学校で測れているかといったら、答えは否です。
社会は大きく変わったのに、子どもたちを評価する「ものさし」は、我々が子どもの頃とたいして変わっていません。
その古いものさしではかったら、力が下がっているように見えるに決まってます。
その下がった力を指さして「何とかしなければ」と躍起になるのは、非常にもったいない気がします。
そんなことをしても、我々を超えることはできませんから。どうせなら超えてもらいたい。
世間や学校での評価は「一面」を表しているに過ぎません。
測れていない部分もあるという認識をもっていないと、正しく評価はできないと思います。
使える“武器”を増やすこと
3つ目は、「使える“武器”を増やすこと」
世の中のたいていのことは、良くなっていると思います。
男女平等の指数が先進国で最下位だという報道がありました。
確かに、まだまだな場面はあるでしょう。
他国と比べたら遅れているかもしれません。
でもこの国の歴史で見たら、間違いなく今が一番いい。
便利な道具も増えました。現在の最強の武器は“スマホ”でしょう。
妻は海外旅行が好きですが、自分がこういう仕事をしているので、一緒に行ける時期は限られます。
最近は旅費も自分で工面できるので「1人で行ってきていいよ」と言って送り出しています。
そのときに驚くのですが、荷物が少ないんですね。スマホ1台で、ほとんどのことをこなしているようです。
学校ではスマホの使用はかなり制限していますし、危険性を強調して伝えます。
学校が求められる「安全」を考えれば致し方ないことですが、良い使い方をしっかり伝えることも必要です。
「学力」も1つの武器です。
先ほど「覚える勉強は将来役に立たない」というような話をしましたが、現状のシステムを考えれば、学校の試験や大学入試などでまだまだ使います。
だったら「自己実現のために必要な過程」と割り切ってこなすしたたかさも必要です。
とりとめもない話をしましたが、僕からは以上です。
生徒たちを見ていて、もっとこうなってほしいとか、ここを変えてほしいと思うことは、ほとんどなくなりました。今のままで充分素晴らしい。
あとは、子どもたちが「これをしたい」「こうなりたい」と思ったときに、どれだけサポートができるかです。
明るい未来が描けるよう、前向きに接していきたいと思います。
長時間ありがとうございました。
妻によるあとがき
ここまでかなり長い夫の話を読んでいただいてありがとうございました。
夫が私の仕事や働き方、生き方を尊重して応援してくれることはもちろん有難く、だからこそ夫婦ともに自由になれるように「夫婦の自由化」を目指して日々仕事をしています。
応援だけでも十分うれしいですが、それを保護者の方に伝えてくれて子ども達を見守る1つの視点として話してくれたのはもっともっとうれしかったです。
保護者の方がどのように今回の話を受け止めてくださったのかはわかりませんが、中には
「とてもいい話だった、早速帰ってうちの子に話したいと思います」
と言ってくださったかたもいたようです。
(先生より奥さんの方が収入上らしいよだけが伝わってしまうのがちょっと怖いけど笑)
今ウェブサイト運営を仕事としている私ができるのは、夫の子供達への思いや考え方を少しでも多くの方にシェアできればと思い、今回記事にしました。